小松法律事務所

交通事故と心因性視力障害の因果関係を認めた地裁判決紹介6


○「交通事故と心因性視力障害の因果関係を認めた地裁判決紹介5」の続きで、原告の視力障害の原因は直接外傷にはなく、心因性視覚障害の典型的な一徴候であって、労災補償保険法障害等級の第9級の7の2(自賠法等級表の第9級の10)に該当するとし、原告の症状は、本件事故との因果関係を否定できないとした昭和63年4月20日静岡地裁沼津支部判決(判時1356号128頁)関連部分を紹介します。

○事案は、タクシーと大型貨物自動車が衝突し、タクシーに乗っていた原告が負傷し、頸椎損傷・捻挫・ムチウチ症等の傷害を受け、後遺症障害に関する損害以外の損害については示談が成立し、後遺症による損害の賠償を求めたものでした。

○判決は、原告に生じた或は今後生じ得る損害を全部被告に負担させることは公平の理念に照らし相当ではなく、過失相殺の規定の類推等の法理により、後遺症による逸失利益については本件口頭弁論終結時までに発生した損害のうち、その6割の限度に減額し、後遺症による慰謝料の算定にもこの事情を斟酌し、被告に賠償責任を負担させるのが相当であるとしました。

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主   文
一 被告は原告に対し、金615万6919円及びこれに対する昭和58年4月28日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
二 原告のその余の請求を棄却する。
三 訴訟費用は、参加によって生じた費用を含め、これを10分し、その8を原告の、その1を被告の、その余を補助参加人の負担とする。
四 この判決は、第1項に阪り、仮に執行することができる。

事   実
第一 当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨

1 被告は原告に対し、金9046万9000円及びこれに対する訴状送達の日の翌日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
3 仮執行宣言

二 請求の趣旨に対する答弁(被告及び補助参加人)
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。

第二 当事者の主張
一 請求原因

1 交通事故の発生(以下、「本件事故」という。)
(一) 日 時 昭和54年10月9日午前零時30分ころ
(二) 場 所 静岡県三島市梅名402番地の1地先交差点(以下、「本件交差点」という。)
(三) 態 様 原告は、被告会社の雇用する訴外石川米男(以下、「訴外石川」という。)の運転にかかる被告所有のタクシー(普通乗用自動車、以下、「本件タクシー」という。)に客として乗車して帰宅中、本件タクシーが本件交差点に差しかかり直進しようとして交差点内に進入したところ、折から本件交差点に左方から進入してきた訴外山下輝次の運転する大型貨物自動車の前部に本件タクシーの助手席扉付近が衝突し、本件夕クシーの助手席に乗車していた原告が負傷した。

2 責任原因(略)

3 損害
(一) 原告の傷害

(1) 原告は、本件事故により、頸椎損傷・捻挫、左肩打撲、脳震盪症及び急性球後視神経炎、三叉神経痛、ムチウチ症の傷害を受けた。右傷害のうち、頸椎損傷・捻挫、左肩打撲、脳震盪症については一応の治癒をみたが、ムチウチ症に起因する急性球後視神経炎、三叉神経痛が容易に治癒しない結果、両眼の視力低下と視野狭窄の症状の回復をみるにいたらず、昭和56年6月30日、右眼視力0・01、左眼視力0・02、視野は中心5ないし10度の中心性狭窄の状態となって症状固定と認定され、これが後遺症として残った。
 この後遺障害は、自賠法施行令2条の後遺障害別等級表(以下、「自賠法等級表」という。)の第2級の2に該当する(原告は身体障害者福祉法では、同法別表の第1級の身体障害者としての認定を受けている。)。

(2) なお、右の症状固定診断時以降、視力については多少の改善が認められ、現在、他覚的視力測定では両眼0・45、右眼0・40、左眼0・24で、自覚的視力は右眼0・40、左眼0・16であるが、視野障害は依然として改善されておらず、現在、右眼は15ないし25度の中心狭窄、左眼は5度の中心狭窄である。
 右状態を症状固定として自賠法等級表に照らすと、第9級の3及び10に該当する。

(二) 示談
 前記傷害に係る損害のうち、後遺症障害に関する損害以外の損害については、昭和56年10月3日、原被告間に示談が成立している。(中略)

理   由
一 本件事故の発生、責任原因について

 請求原因1の事実は当車者間に争いがなく、同2のうち、「原告に生じた損害を賠償すべき義務がある」点は補助参加人が争っているが、その余の事実は当事者間に争いがない。

二 原告の症状について
1 (証拠略)を総合すると、原告の本件事故後の治療の経過、症状として、以下の事実を認めることができ、右認定を左右するに足りる証拠はない。
(一) 原告は、本件事故前は視力が右眼1・0、左眼2・0で、視野も正常な健康な状態にあった。

(二) 原告は、昭和54年10月9日本件事故により受傷し、同日から小野外科胃腸科医院に入院し、頸椎損傷・捻挫、左肩打撲、脳震蕩症の診断で治療を受けていたが、事故後2週間位してから視覚に変調を来し、目がかすむ等の症状を訴えたため、同年11月30日から日本通運健康保健組合東京病院(以下、「日通病院」という。)に入院し、中西堯朗医師(以下、「中西医師」という。)の眼科治療を受け、同年12月29日に退院し、以後昭和56年6月30日まで日通病院に通院したが、その間、中西医師の紹介で北里大学病院神経眼科の石川哲教授(以下、「石川教授」という。)、山本俊一医師の診断を受けた。

(三) 原告の、昭和54年11月30日の日通病院における初診時の症状は、視力は右眼0・04、左眼0・02で視野は両眼中心15度に狭窄しており、CFF値は右眼23、左眼25と低下(正常値は40以上)していたが、前眼部、中間透光体には共に異常はなく、眼底所見も正常であったため、中西医師は網膜レべルより中枢側の視路に何らかの病変があると考え、急性球後視神経炎と診断した。

(四) 原告の右症状はその後やや改善し、昭和54年12月29日の日通病院退院時には、視力が0・08、視野が40度、CFF値が42と判定されたものの、昭和55年2月14日の診断時には視力が両眼0・02、視野が中心15ないし20度と判定され、同年3月17日の診断時には視力が右眼0・02、左眼0・01、視野が中心10度と判定され、症状が再び悪化したことや、原告の日常の動作が必ずしも右症状と一致しなかったことから、中西医師は心因性の視力に対するプレッシャーがあると考えるようになった。

(五) 原告の、昭和55年3月31日の北里大学病院における初診時の症状は、視力が右眼0・01、左眼0・01と判定されたものの、前眼部、中間透光体、眼底、眼圧、CTスキャン検査共に異常がなく、他覚的な異常所見はなかった。
 同病院で同月9日に実施されたフラッシュVECP検査で軽度の異常が認められたが、同年5月19日に実施されたパターンVECP検査では正常化しており、同年8月13日時点での石川教授の診断はABC症候群(外傷が引き金になって起こるヒステリー)であった。

(六) 中西医師は、右石川教授の診断も踏まえて、原告の障害を事故による心身症による視力障害、視野障害と診断し、症状が固定してきたことから、昭和56年6月30日症状固定と判定した。
 右の症状固定時の原告の視力は右眼0・02、左眼0・01で、視野は5ないし10度の中心狭窄で、労働者災害補償保険法障害等級第11級の2に該当すると判定された。

(七) 中西医師は、原告の親に対し、神経科の医師を紹介するので受診するよう勧めたが、原告の親がこれを拒否し、原告自身はこれを聞き知っていないため、その後原告は専門家の治療を受けていない。

(八) 鑑定人松崎浩(東京慈恵会医科大学教授。)は、昭和62年4月9日付の鑑定書において、原告の症状について次のとおり鑑定した。
 原告の鑑定時の視力は、視運動性眼振抑制法による他覚的視力測定では少なくとも両眼視0・45、右眼0・40、左眼0・24を検出し得、距離法、雲霧法による自覚的視力測定では少なくとも右眼0・40、左眼0・16を検出し得るが、最終的な量定には至らなかった。
 視野については、ゴールドマン視野計等による測定により右眼は15ないし25度の中心狭窄、左眼は5度の中心狭窄をそれぞれ示した。
 本件事故によって外傷2ヶ月後に両眼に視神経障害を発症することはあり得ず、検査結果によれば視路には異常は認められないこと等から、原告の視覚障害の原因として考えられることは、本人をとりまくすべての環境が精神的誘因となり、またそれを助長してきた結果固定したものと考えられ、視力障害の原因は直接外傷にはないが、視野障害は心因性視覚障害の典型的な一徴候といえる。

 したがって、原告の症状は労働者災害補償保険法障害等級の第9級の7の2(自賠法等級表の第9級の10)に該当すると考えるが、治療法はあり得ると考える。

2 補助参加人は、原告の主張する視力障害、視野障害は症状として存在しない旨主張しているが、昭和56年6月30日の症状固定時並びに鑑定時において、前認定の症状が存在したことは明らかであって、前掲各証拠によればこれがいわゆる詐病ではないことも明白である。

三 被告が賠償すべき範囲について
 以上の原告の症状は、本件事故による受傷を契機として発現したものであり、事故による入院も含めた原告の環境の変化が精神的誘因となっていると解されるから、心因性の視覚障害てあるからといって直ちに本件事故との因果関係を否定するのは相当でない。

 しかしながら他方、(証拠略)によれば、原告をとりまくすべての環境が視覚障害の精神的誘因となっていること、心因性の視覚障害は機能的な一時的抑圧であり、通常は2、3年で自然に回復するものであること、原告の場合は本件訴訟が新たなプレッシャーとなっている可能性もあることが認められ、原告が昭和56年6月30日に症状固定と診断されて以降、原告自身は聞き知っていなかったとはいえ、原告の親は中西医師から神経科の治療を勧められたにも拘らず、その後全く専門医の治療を受けて来なかったため、積極的な治療を受けて来た場合に比して回復が遅れたと推認されることや、更に、口頭弁論終結後に症状が著しく改善する可能性もあり得ないではないこと等の事情も考慮すると、原告に生じた或は今後生じ得る損害を全部被告に負担させることは公平の理念に照らし相当ではなく、過失相殺の規定の類推等の法理により、後遺症による逸失利益については本件口頭弁論終結時までに発生した損害のうち、その6割の限度に減額し、後遺症による慰謝料の算定にもこの事情を斟酌したうえ、被告に賠償責任を負担させるのが相当である。


四 損害について
1 後遺症による逸失利益
(証拠略)によれば、原告は昭和31年11月29日生れで、丙川高校を卒業後、教材販売員、ガス充填作業員の仕事をした後昭和52年から沼津市近在の乙山水産なる会社に雇われてハマチの養殖作業に従事していたが、昭和54年6月に乙山水産が倒産しかけたので同社を退職し、その後は母親の友人で米国ハワイ州在住の人を頼ってハワイで輸入雑貨商を自営すべく準備にかかり、同年10月25日に渡航する予定で、それまで兄のスナックを手伝っていたこと、本件事故による症状固定後は暫く住居地に居住していたが、昭和57年1月に母親と共に喫茶店経官の修業のため親戚を頼って松本市に移り住んだものの、喫茶店の経営はせず、昭和58年未に住居地に戻ったが、翌59年ころ、当時交際していた女性との結婚を両親に反対されて家を出、女性と同居していたが、昭和61年に女性と別れて住居地に戻ったもので、この間視覚障害により満足に就労することができず、現在も無職であること、昭和56年10月3日に原、被告間で成立した示談における本件事故の当日から昭和56年5月31日までの休業損害の第定には1日金8333円の収入が基礎とされたことを認めることができる。

 これらの事情に鑑みれば、原告の後遺症による逸失利益の算定にあたっては、昭和56年度寛金センサスの産業計、企業規模計、男子労働者学歴計、年齢計の平均年間給与額金363万3400円を基礎とするのが相当である。

 また、前認定のとおり、原告の症状は昭和56年6月30日における症状固定の診断後も変動しているため右症状固定時の労働能力喪失率を基準とすることはできないものの、少なくともこの間鑑定時の労働能力喪失率を上回っていたと解することがで きるから、原告の後遺症による逸失利益の算定にあたっては、労働能力喪失率は35%と認めるのが相当である。

 更に、前認定のとおり、被告が賠償すべき後遺障害による逸失利益は本件口頭弁論終結時であることが訴訟上明らかな昭和62年12月16日までであるから、本件事故発生の2年後から8年後までの6年分を下回ることはないと認められ、その6割を新ホフマン式計第法によって中間利息を控除して本件事故当時の現価に引直すと金360万6919円となる。
 363万3400円×0・35×(6・5886-1・8614)×0・6=360万6919円

2 後遺症による慰謝料
(証拠略)によれば、原告は本件事故後の昭和55年1月31日妻と離婚し、現在は両親と同居して生活費の援助を得ていることが認められ、これに前認定の後遺障害の原因、原告の症状、治療の経過、原告の生活状況等を総合して勘案すると、後遺症の慰謝料は金200万円を相当と認める。

3 弁護士費用
 原告が本訴の提起と追行を弁護士である原告訴訟代理人に委任したことは当裁判所に顕著であるところ、本件事案の難易、前記の認容額、本件訴訟の審理経過等諸般の事情を考慮すると、本件事故と相当因果関係のある弁護士費用は金55万円を相当と認める。

五 結論
 よって、原告の被告に対する本訴請求は、損害賠償金615万6919円及びこれに対する訴状送達の日の翌日であることが記録上明らかな昭和58年4月28日から支払済みまで民法所定年5分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、その余は理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法89条、92条、94条を、仮執行の宣言につき同法196条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

静岡地方裁判所沼津支部